ペットと養鶏の違い
本音を言語化すると開放感があって良い気持ち
と言う訳で本音の独り言2回目
ペットと養鶏の本質的には同じで、目的が違う
これが私の考えです
家畜の定義
家畜とは、その生産物(乳、肉、卵、毛、皮、毛皮、労働力など)を人が利用するために馴致・飼育している動物を言います。また、家畜は人の飼育下で繁殖させた動物です。
家畜と食用動物 | 酪農学園大学動物薬教育研究センター
要は人が利用する為に育てた動物の事を家畜と言う
鳥は家畜とも家禽とも言う、養鶏はこれにあたる
蜂(蜂蜜、受粉)やワニ(皮)、蚕(絹糸)なんかも人が利用する為に飼育してるなら家畜に含まれる
ペットも家畜である
「寂しさをまぎらわす為」、「可愛がる為」「情操教育の為」
人が利用する為に人が飼育した動物なので定義上は間違いなく家畜である
しかし家畜というと憤慨する人がいる
そんなんだからペットを捨てる人があとを絶たないのだ
私は「死ぬまで管理する事」が生き物を扱う人の責務だと考えている
責任とは
1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての責任がある」「責任を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の責任をとる」「責任転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。
責任(セキニン)とは – コトバンク
デジタル大辞泉
ペットを飼う理由を考え、目的が果たせた後どうするのか
何の為に飼うのか?
理由はいくつあっても良いが、本質的な理由を1つ持っておく必要がある
その理由に沿って管理しないと、一貫性の無いなあなあな管理になってしまう
産業動物としての家畜は目的が明確であり、目的を果たせない家畜は処分される
殺して食肉にするのか、土に返すのか、生産者は最後まで面倒を見ている
悪徳な業者はどの業界でも不適切な管理をしているだろうけどそれは一般人にも言える
記事の最後にジャーナリストさんが供給元を変えなければダメだと思う、免許制度を取り入れるべきと話してます
良い案だと思います
しかし供給元と同時に消費者も変わらなければならない、消費者が変われば生産者も変わる、生産者が変われば消費者も変わる
捨てられた動物を保護する事は余程の覚悟がない限りやってはいけないと思う
捨てても誰かが面倒見てくれる
消費者がそう勘違いするからだ
しかし100の命を救う行為の代償として1万の命が生産され処分されてたとしたらどうだろう?
命を無駄にしたくないという気持ちは分かる
しかし根本的原因を改善しない事にはペットという家畜はいなくならないだろう
私が鶏を飼う本質的な理由は卵を採るため
理由を上げようとすればいくつも出る、飼ってれば愛着が湧くし、糞は肥料になるし、自力で生きていける烏骨鶏という品種なので育成に手間もかからない(品種改良の過程で本能が薄れ、抱卵・育雛ができない品種もいる)、カッコイイ
しかし本質的な理由は卵
私に出来る鶏の命への最大限の感謝として広い小屋、土の床、無農薬の畑で過ごしてもらい、ノビノビ生きてもらう
まだ鶏を絞めたことは無いが、命を無駄にしないよう全てを頂く予定だ
毛は製品か肥料に、肉は食べ、骨は出汁を取ったのち肥料に、内臓も食べられる所は食べて残りは肥料に
全てに最大限の感謝を込めて扱う
最大限の感謝とは何かを考え続ける
これが家畜を扱う上で最低限必要な覚悟だと思う